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昭利の一本道 [11] 『御諏訪太鼓』小口大八さんのこと

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 6月27日は小口大八さんの命日だ。交通事故で突然亡くなってから14年になる。

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 小口さんには、30年以上もおつきあいをいただいた。初めてお目にかかったのは昭和54年。発足まもない全日本太鼓連盟が箱根で開催した『第一回日本太鼓連盟講習会』の会場。当時、数少ないプロの太鼓打ちとしてすでに活躍著しかった小口さんは、全国に太鼓を広めようと情熱に燃え、まぶしいほどに輝いていた。太鼓連盟の設立も、全国の太鼓団体をまとめるために奔走した小口さんの尽力なしには実現しなかっただろう。

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 会場の一角で太鼓を展示していた私に小口さんは気軽に声を掛けてくれ、「この世界はこれからどんどん広がる。お互いに頑張ろう」と肩をたたいた。そう言われても、北陸の「井の中の蛙」に過ぎない当時の私には未来の太鼓界など想像できず、曖昧にうなずいた。この時、取材に来ていた報知新聞の記者が私たちの会話を聞きつけ、「これから太鼓は本当に広がると思いますか?」と近寄ってきた。小口さんはきっぱりと「広がります。大きくなります!」と胸を張った。その自信にあふれた声は、今も私の耳にはっきり残っている。 (写真左:天鼓 小口大八の日本太鼓論より)

 果たして小口さんの予言通り、太鼓は急速に日本列島に普及した。ことに昭和60年代初頭からの地域活性化ブーム時代には、全国の多くの自治体が村おこし・町おこしの手段を太鼓に求めることが社会現象の一つにまでなった。さらに一方では、テレビや舞台で活躍する『御諏訪太鼓』をはじめ、『御陣乗太鼓』『鬼太鼓座』などのプロ集団に触発された若者たちが、地域や伝統にとらわれない新しい太鼓の形として、創作太鼓のグループを次々に立ち上げた。その結果、地域に根ざした伝統の太鼓をはじめ、パーカッションの要素を取り入れたリズム重視の太鼓、太鼓音楽に芸術性を追求する求道的な太鼓までさまざまな太鼓音楽が乱立することになったが、小口さんは「太鼓は楽しむもの。人の心を一つにする。どんなリズムも打法も、太鼓の表現であることに変わりはない」と、すべての太鼓をおおらかに受け入れて見守った。

 心から太鼓を愛し、亡くなる直前までばちを握った人の通夜は、岡谷市の自宅で静かに執り行われた。近所の人々は早々に焼香をすませ、やがて遺影の前には太鼓関係者だけが残った。小口さんの死を悼み、関東や関西、近畿、遠くは九州から駆けつけた人々もおり、誰からともなく思い出を語っては在りし日の姿をしのんだ。太鼓にかかわる話をしている限り、小口さんもにこにこと笑って話の輪に加わっているような気がした。太鼓界では誰知らぬ人のない『御諏訪太鼓』という一つの時代を築きながら、決して驕ることなく、最後まで市井の人として質素な生き方を貫いた小口さんの偉大さが、あらためて胸に迫った。

 今、手許に一冊の本がある。『天鼓 小口大八の日本太鼓論』。昭和62年、小口さんが63歳の時に御諏訪太鼓の歩みを振り返って綴ったものだ。322ページにおよぶハードカバーの本には、ジャズバンドのドラマーだった小口青年と和太鼓との出会いに始まり、小口さんが開発した『複式複打』、すなわち複数の太鼓を複数人で打つ組太鼓の魅力や、数々の名曲の誕生秘話、楽器に対する思い入れ、公演先に楽器を残してくることで太鼓への関心を持続させた世界的な太鼓の拡大化、和太鼓振興にかける思いなどが詳しく記されている。その中に、太鼓の打ち方の基本を10項目にわたって述べた『鼓道十訓』というのがある。すべての太鼓打ちへの、小口さんからの遺産として、ここに紹介する。

一. 足腰きたえて打ち込み三年(太鼓の生命は響き、音量、韻であり、スピードと強弱の組み合わせは迫力となり、勇壮感に満ち、とどろきとなって聞く人々に深い感銘を与える)

二. 構え方、足を開き腰を落として太鼓に遠く(ばちさばきは大技となり空間をうめる)

三. 足で感じて体で打つ(手首小手先の打奏はだめ)

四. 叩くに非ず打ち鳴らせ(人々の心をも打ちならす)

五 . 点で打ち線で打つな(ベタ打ちはだめ)

六 五で打ち五で引きアウンの呼吸(限界ギリギリの最強最弱)

七. 音半分振り半分(ばちさばきが半分の重要素である)

八 目線ばち先ばちの位置、胸先の打奏はだめ(空間にも太鼓と音がある)

九 . 強弱長短緩急弾無、技で打つより顔で打て(表情)

十. 無念無想一打全魂汗と血と心で打て(人間の生命力とバイタル)

 小口さんに最後のお別れを告げた告別式は8月6日。代表作の曲名そのままに『阿修羅』のごとくに84年の生涯を走り抜けた偉大な先達に、心をこめてねぎらいの言葉を贈った。