昭利の一本道 [25] 「第1回林英哲杯太鼓楽曲創作コンクール」を開催

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 太鼓づくりの家に生まれておよそ70年。これまで太鼓に関わるさまざまなイベントを手がけてきた私だが、数年前からまた新しい構想が胸の中に芽生えていた。太鼓の作曲コンクールの開催だ。

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 現在、太鼓の演奏曲は大きく二つに分かれている。一つは、長い時間をかけて地域に根を下ろした土着の太鼓。中には100年も200年も受け継がれてきた伝統の曲も数多い。そしてもう一つは、1970年前後の「ふるさと創生」の機運や、太鼓の演奏をコンサートとして成立させた「佐渡の國鬼太鼓座」の出現に刺激され、伝統にも地方色にも縛られず新しく作曲された創作の太鼓だ。この創作太鼓の氾濫により全国に太鼓チームが急増したわけだが、いかんせん、太鼓の楽曲を創作するのは、そう簡単なことではない。まず、一般の音楽と異なり、太鼓曲を作曲する教育は、それまでの日本には皆無だった。そして作曲を志すにしても、太鼓の種類や大きさにより音色が異なり、音階もない太鼓を、どう組み合わせ、どう強弱をつけ、どう物語を作るか。多くのチームはそうした難題に突き当たり、おのずから創作太鼓の楽曲は、伝統曲をアレンジしたものや、どこかで聞いて耳に残ったフレーズをコピーした曲など、どのチームも似たり寄ったりの楽曲が流通しているのが現状だ。だが、こうした状況では、太鼓音楽は後世に残るのは難しい。発祥から300年続いている歌舞伎のように、そこから発生した邦楽囃子のように、そしてヨーロッパのクラシック音楽のように、太鼓の楽曲も一つの芸能としての質の高さを確立しなければ、日本独自の文化として次の世代に手渡していくのは難しいのではないか。そうした思いから、まずはすぐれた楽曲の創作が何よりも必要であり、そのために広範に人材と才能を求める手段として、ぜひとも太鼓楽曲のコンクールをこの手で実現したいというのが、私の切なる願いだった。そしてその時に、名実ともに全権を委ねるのは、林英哲氏しかいないと確信していた。

 そんな私の一方的な熱を林氏にぶつけ、ようやくご理解をいただき、石川県の補助金も獲得し、本格的な準備に入ったのが2015年の春。同時に告知・広報、応募曲の募集、コンクール進行の調整など、さまざまな要素を時間と駆け足で進め、2016年7月27日、世界で初めての太鼓のための作曲コンクール「林英哲杯太鼓楽曲創作コンクール」の第1回を開催した。

 太鼓界第一人者の林英哲氏がただ一人審査員となり、自身の目と耳で審査するコンクールに、どんな曲が選ばれるのか。太鼓芸能の世界を創り上げ、作品づくりにおいて秀でた完成と才能を兼備している演奏者ならではの視点に大きく期待した。映像による一時審査を通過した18組の演奏曲に対し、「曲」「リズム」「打力」「創造力」「型」「アンサンブル」の6項目評価により、独奏作品部門青少年の部、独奏作品部門一般の部、団体作品部門の3部門から優れた楽曲が顕彰された。また表彰式に続く林氏の講評にも含蓄が多く、太鼓に関わりのある人にもない人にも、大きな感銘を与えたようだ。「やって良かった」。

 コンクールは以後3回継続し、3年目の終了時には第1回から第3回までの受賞曲全8曲を集積した楽譜集を発刊した。コンクーを開催したことにより、私自身多くのことを学んだとともに、太鼓の演奏者をはじめ、太鼓に関心を持っていてくださる皆さんにも太鼓曲の創作について何らかの意識を与えたと自負している。